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建築家コラム 第6回ゲスト 「海法 圭」様 2018年09月06日 一覧へ戻る
ことしは早い梅雨明けからの猛暑、酷暑がつづく長い夏となり、それに伴う豪雨被害、また25年ぶりの大型台風21号の襲来、そして昨深夜に北海道を襲った大地震と立て続けに大きな自然災害に見舞われていますが、皆さまはお元気にお過ごしのことと拝察いたします。

さて、建築家コラム第6回のゲストは海法圭建築設計事務所代表の「海法 圭(かいほうけい)」さんです。

今後環境の変化により建築における床の意味や意匠も大きく変わっていく必要があるのかもしれませんが、海法さんは「床」に対してどのような思いや、お考えをお持ちなのか大変興味が沸きます。

それでは、海法さんのコラムをお楽しみください。
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海法圭(かいほう けい)
1982年生まれ。2004年東京大学工学部建築学科卒。2007年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。2007〜2009年西沢大良建築設計事務所勤務。2010年海法圭建築設計事務所設立。現在、東京大学、芝浦工業大学非常勤講師。
主な作品に、『東成瀬の4層』、『tobacco stand』、『箱根本箱』など。主な受賞に、2011年GlassArchitectureCompetition優秀賞、2012年第2回郡山アーバンデザインセンター•コンペティション最優秀賞、2016年福島県建築文化賞優秀賞など。
http://kaihoh.jp/
https://www.facebook.com/kei.kaihoh.architects/


 


建築における床の意味と意匠

和辻哲郎は『風土』において、日本の家屋を、内部ではほぼ仕切りがないが、外部と内部は判然と区別された空間と定義した。襖や障子戸という横滑りする繊細な間仕切りは空間をつなぐための設えであって、空間の区別はむしろ床の種類によってされている。例えば、地面がそのまま床になった土間、床板だけの部分が縁側、畳を敷いたいわゆる部屋に区分して認識される、というわけだ。確かに、日本家屋を訪れた際の足の裏の体験を記述してみると、切り出した石(踏み石のこと)→硬くした土→平らにした木→編み込んだ植物繊維というように、徐々に硬いものから柔らかいものに床の表面が変化しており、その体験の切り替わりと部屋の切り替わりが一致していることに気づかされる。

この地球には、床、言い換えると足で踏みしめる大きな水平面が、地球の表面積と同じくらいある。草原、海岸、砂丘、湖、砂漠などに赴いても壁や天井はほぼ見当たらない。自然界には壁や天井と比較して床の量も種類も圧倒的に多く存在している。人間は長年にわたるその自然との経験を通して、床にまつわる記憶のようなものをすりこまれている。片時も足の裏を床から離すことができずに床とくっつかざるを得ない諦念にも似た感覚は、大自然の広大な水平面を前にして感じるものだろう。床だけに経済的な価値を見出し、人間にとってのみ価値のある機能的な床を大量生産したのも、自然界に面白みはあるが決して便利とはいえない床が多すぎることへの反動だろう。
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2年ほど前にスリランカに行く機会があり、ジェフリーバワの設計した自邸「No.11」を訪れた。
この家は、かつて4軒長屋だったものに増改築を繰り返し最終的に一軒家となったため、平面を見ても容易には室の内外や動線を判別できない。4軒長屋は現在玄関がある場所から奥に向かって続く路地に面していたが、バワはこの路地を室内化して細長い回廊に作り替え、4軒をつないでしまった。
白い床、壁、天井に囲まれたその回廊には、光庭がいくつも配置され、かつて屋外であったことを彷彿とさせる。光庭の天窓から落ちる光は、白い壁や床に陰影のグラデーションを生み出している。この白い回廊を歩くと、ある瞬間には室内にいると思っていたのに、あるときふいに室外にいるような気分になる。室内と室外を行ったり来たりするような、内外の領域が伸び縮みするような不思議な感覚である。
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天井も壁も床も白い、と述べたが、この回廊の場合は床だけは艶がある。床だけに艶があるのは、耐候性や耐汚性の高い塗料でその表層に光沢のある皮膜をつくり出しているから、というのが通常の説明である。ただ一方で、この床は内外の伸び縮みに対して不思議な効果を生み出しているように思えた。
艶のある床の表面に天窓から落ちる光が反射して目まで届くことで、床が輝いてるように見えるのだが、この床の輝いている範囲を外らしい場所として頭が認識しているのではないか。仮にこの効果を、「外の滑り込み」と表現してみる。
『No.11』の回廊を進めば進むほど、光が遠ざかっていく。反射する光の範囲=外が滑り込む範囲も、ずるずると自分が進む動きに合わせて後退していく。自分がいる場所が外なのか中なのかよくわからない感覚におそわれるのは、床の反射光すなわち外が滑り込む範囲が観察者の視点に連動するかたちで常に動いていくからではないだろうか。例えば天窓のすぐ直下まで来たとき、つまり反射光と実際の光の出所がほぼ一致したという感覚があるとき、自分の立つその場所が外と強く感じられるかもしれない。一方で、光源から距離があるほど鮮明な像として反射するのが、近づけば近づくほど像がぼやけ目に届く反射光量が減るのは、滑り込みの効果が弱まる方向に働く。上記2つの現象があいまいな関係性でバランスしているのも、床の捉えどころのなさだろう。
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和辻のように部屋ごとに文節して空間を構造化する視点は、ある建物を分かりやすく説明できる一方で、床が生み出すさまざまな現象を少なからず捨象してしまう一面ももつ。床は、素材の配置された水平面というだけではなく、人間と自然の緩やかな関係性を示すものであったり、光や熱の環境の変化に応じてそれ自体の印象が変化するような、より現象的なものと捉えた方が楽しい。
そのような楽しい思考の試みを繰り返すことで初めて、自然界にある面白みのある水平面と同じ土俵にたつような床のありかたを作り出せるのではないだろうか、と考えている。




海法さん、ありがとうございました。
壁や天井とは大きく役割が違う床のお話や、素材を変えることで部屋を区分けしているという視点、そしてその体験の切り替わりと部屋の切り替わりが一致しているという観点はなるほどと納得させられるお話でした。

また、リゾート建築の祖と称されるジェフリーバワの作品を例にとっての解説も大変おもしろく拝読させていただきました。
私も是非一度スリランカでバワの世界を体験したいと思います。

今後ますますのご活躍をお祈りしております。

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